木々たちの叫び
KAZI編集長 田久保 雅己様からのメッセージ
JANUARY 2001
米国の船舶複製技師ダグラス・ブルックスさんは、博物館研究委員と海洋史家という肩書きをもち、船舶雑誌のライターも務める古船研究のエキスパートだ。その彼がぶらりと私を訪ねてきたのは、今から4年ほど前だったろうか。
彼は日本の造船技術に興味をもったというのだ。タンカーなどで世界を席巻した造船大国時代の技術ではない。古くから受け継がれている、日本古来の木船の造船技術であり、木工技術、いわば職人技に興味をもったのである。
何度か来日し、木工職人の残る古い造船所や博物館を訪ね歩いた。佐渡では、たらい舟造りの職人の家に住み込みで弟子入りして、漕ぎ方から工作法までを学んだ。来日はこの10年間に5回。その間、彼の研究は米国の『WOODEN BOAT』誌など、いくつかの雑誌に掲載され、いろいろな博物館から講演も依頼された。
欧米には研究機関だけではなく、古い船を修復、保存する民間のクラブや団体がたくさんある。50年、60年も経つボートをレストアしたり、復元したり、保存したり、仲間とわいわいやりながら週末の余暇を楽しむ。船齢を自慢しあい、磨きあげた船体や船内を誇り高く披露する。オーナーが手塩をかけて維持した美しさを披露する内なる心は、パーティー会場に美しき貴婦人を連れていくようなものともされている。
そうしたオールドボートを集めてのレースもいくつもある。カリブ海のアンティグアで毎年開催されているThe Antigua Classic Yacht Regattaには、船齢50年、60年、中には100年近い木造艇が40も50も集まってくる。前回は1915年に建造された138フィートのスクーナー〈Mariette〉や1934年のアメリカズカッパーとしてつとに有名なJボート〈Endeavour〉など、そうそうたる貴婦人たちがパーティーを盛り上げた。
日本でも去る11月11日、土曜の昼下がり、神奈川県三浦市の小網代会館で木造クルーザーのオーナーなど38名が集結し、日本ウッディンヨットクラブ( Wooden Yacht Club Japan・会長/小林康紀、事務局/府川光 E-MAIL:nev@cg.mbn.or.jp)が産声をあげた。正会員は27名の木造ヨットのオーナー。その他木造ヨットの愛好家を準会員として設立総会が開催されたのである。
発端は〈波勝〉のオーナーである吉岡久光氏が音頭をとり、祝日に制定された1996年の『海の日』7月20日に小網代ヨットクラブ主催で開催された第1回木造ヨットレース。〈旭〉、〈ケイセブン〉、〈たかとり〉、〈ゆきかぜ〉など、往年の名艇11艇が集結した。
その後、衰退しそうになる機運を引き上げたのが〈カムシン〉の小林康紀オーナー。2回、3回は小林氏が中心となり、シーボニアヨットクラブ主催で開催された。ウッディンヨットクラブ発足の話は、99年秋頃から持ち上がり、ミレニアムの年となったこの夏、レースの主催は小網代ヨットクラブに戻り第5回大会を開催、11月に設立ということになった。実に6年越しのクラブ設立までの経緯である。
当面はレース中心に親睦を図ることになるが、時間をかけながら現存している木造艇の維持保存を全国的に推奨し、愛好家をはじめ造船所、ヨットデザイナーなどに声をかけ、伝統的な木造艇建造の技術の継承、啓蒙の問題にまでテーマを広げていきたいという。
一方、ブルックスさんから私のところへ1通の手紙が届いた。彼の活動が評価され、バーモント州のフリーマン財団が、日本で船を復元建造する資金を提供することに決まったというのだ。和船造りの弟子として参加し、その伝統造船技術をすべて記録するというのである。
日本古来の伝統的な職人技を保存しようという動きが、外の国から発動することに淋しい思いをするのは私だけだろうか。
ブルックスさんは次のように警鐘を与えている。
「1990年以来、私が接した日本の船大工は17人。そのうち5人はすでにお亡くなりになった。そしてその17人には私を含めて弟子は3人しかいません。この古い手仕事の技術は消滅の危機にあります」
日本ウッディンヨットクラブ発足の意義は大きい。息の長い「木のぬくもりを愛する」活動をじっくりと続けていってほしいものだ。
木は生きている。何十年経っても呼吸をしている。その生命を断ち切ってはならない。
田久保 雅己